島田和子 著
新日本出版社/1,400円+税/2015年10月
映画にもなった著書『星になった少年 ーぼくの夢はぞうの楽園ー』で有名な島田和子さんが、2011年に49歳で旅立ったダウン症のある小宮晶さんのことを書いた本です。
以下、あとがきより抜粋
日本ダウン症協会恒例のイベントのキャッチフレーズ
「STEP FORWARD TOGETHER ーみんなで一緒に前へ進んでいこう」は、まさに全力で生きた晶さんの人生そのものでした。
ときどき人づてに晶さんの様子を聞いていたので、書かずにはいられない思いでした。
晶さんはJDSの会員で、10年前の2005年11月号の表紙に登場し、和太鼓を叩く雄姿を見せてくれました。本文中の「表紙のことば」には、お母様のカツ子さんが、「何事にも積極的に取り組む姿に乾杯!」というタイトルで、仕事と趣味で大忙しの晶さんの充実した生活を1週間の予定表も付けて紹介してくださいました。とても印象的な記事で、今でもよく覚えています。
晶さんは、区役所内の喫茶コーナーで働き、テレビ取材の折には“看板店員”として紹介されたほどです。主な趣味は、手話ダンスと和太鼓で、週末にはさまざまな施設へ出かけ、多くのイベントに参加していました。
ところが、福祉制度の変更に伴い、職場にさまざまな変化が起こります。同じ場所にもかかわらず、福祉就労から特例子会社へのトライアル雇用となり、結局、解雇されてしまいます。新しい作業所に移りますが、なかなかなじめず、それをきっかけに、晶さんはだんだんと心を閉ざしていきます。
そんな中、東日本大震災を体験し、晶さんは動揺し、心の扉が徐々に閉じられていきました。晶さんは、もう何も「いらない」という状態になってしまいます。携帯も、お金も、メモをとるボールペンも……。そして、大好きだった手話ダンスも和太鼓も。ついには、食べることも、飲むことも、「いらない」と。
和太鼓を力強く叩いていた元気な晶さんがそのような状態にあることを知った私は、ショックで愕然とし、何とかならないものかと焦りました。ご家族の苦しみを思うと心が張り裂けそうでした。
一向に晶さんの状況は改善されず、何度も救急車で病院に運ばれ、入院。ご家族は手を尽くされましたが、だんだんと衰弱し、2011年11月2日、ご両親に見守られながら49歳と8カ月の生涯を閉じられました。 精一杯、自分自身の思いを貫き、生き切った晶さん。一生懸命に生きた人生でした。
その死から4年が経ち、「晶さんの生きた証を残したい!」とのご両親の念願が叶い、この本が出版されました。島田さんが書いてくださったおかげで、彼の生き様を多くの方に知っていただくことができますし、こうして会報(2015年12月号)でもお伝えすることができました。
【会報「JDSニュース」担当:上原 公子】